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平成18年8月6日の写真集はコチラ
来年もまた開催します。参加希望の方はおさむちゃんまでご連絡下さい。
<円朝とは>
江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。
本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)
の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。
後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、
商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。
17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を
盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを
受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、
取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。
生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして
人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。
大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。
「今すこし遊びたけれどお迎ひに 一足さきに、ハイ左様なら」の句を残して、
明治33年8月11日、下谷車坂で死去。享年62才
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